Merry Christmas to you


「ごめんっ…!」
それは今日の夜食べる予定のシチューを煮込んでいるときだった。
レンの言葉に不覚にも動揺した私は、すまなそうに何度も謝るレンにおもいっきり張り手をくらわしてしまった。



「ひどいと思わない?約束してたんだよ、ずっと前から!」
私はケータイの向こう側にいるミク姉に、声を荒げながら愚痴る。
「んー、でもお仕事だったんでしょ?」
それならしょうがないよ、と諭すようにミク姉は言う。顔を見なくてもミク姉が困惑しているのは伝わる。
私だってこんな愚痴電話は不毛だってわかってる。
でも理屈じゃないんだ。
それこそ1ヶ月前くらいから、クリスマスと誕生日は2人で過ごそう、と念を押していたのだ。
私は頑張ってこの忙しい時期に25、26、27と3連休をもぎ取った。
レンも3連休は無理だったけど、クリスマスと誕生日はきちんと休みを確保してくれた。

なのにクリスマス当日の朝、今から遡ること8時間ほど前、急に仕事が入ったとレンは仕事に出かけてしまった。
しかも夜遅くまでかかりそうとも…。
せっかくの2人で過ごすクリスマスがなくなってしまって、私のテンションは朝から急降下で上がる気配がない。
そしてその下がりっぱなしのテンションとは逆にむくむくと沸いてきたのは怒りで、今こうしてミク姉に電話しているのだ。

「それに、お仕事の理由もプロデューサー側のミスでしょ?レン君は頑張って仕事片したんだから、ね?」
「そうだけどさー」
私はミク姉の言葉に不満げに頬を膨らます。
そう、レンは悪くないのだ。これっぽっちも。
レンはしっかり仕事を終わらせてくれていた。
今朝プロデューサー側のミスで収録した曲にリテイクの必要がある、と連絡があるまでレン自身も休みのつもりでいたくらいだ。
そもそも、私たちボーカロイドにとってこんなことはしょっちゅうだ。
だからリテイクで休みが潰れたと愚痴を言うのは間違っているのかもしれない。

「でもさ、楽しみにしてたのレンも知ってるはずなんだよ?」
断ってくれてもいいと思わない?というニュアンスを含ませてミク姉に問いかけた。
けど、
「お仕事だもの……しょうがないよ」
甘い答えは返ってこなかった。
何度目のしょうがない、という言葉だろう。
まさにその通りだし、ミク姉はきっと私たち以上に仕事によってプライベートが潰されて いるんだろう。
そう思うとそれ以上は何も言えなかった。

「………ミク姉は今日の予定は?」
ふと、思いついたことを聞いてみる。
初音ミクのこの時期の多忙さは他のボーカロイドの追随を許さない。それくらい異常な忙 しさだ。
数回のコールですぐに出てくれたけど、話してる余裕なんてあるのだろうか?
「午前中は仕事あったけど、午後はオフにしてもらったの」
付け足すように、お昼ごろレンを見かけたと言った。そのほっぺたが真っ赤に腫れていた ことも。
「忙しいんじゃないの?」
ザマーミロ、と心の中だけで悪態をつきながら、ミク姉に尋ねた。
「んっと、忙しいんだけど…無理言って…代償に明日から年末まで休みなしだけど」
はぁっとため息が受話器の向こうから聞こえた。
けど、そのため息に不幸な要素なんて含まれていない。
そこまで無理をする理由なんて一つしか考えられなかった。
「ミクオ君と過ごすの?」
「………………うん」
随分と間があってから、小さな頷きが聞こえた。
「いいなー!」
はぁっと私もため息をつく。
ミク姉は今夜好きな人といることができるのだ。羨ましくて仕方ない。
「何時ごろから?」
私は壁の時計をちらりと見上げる。
電話をしてから1時間近くが経っていた。
「6時くらいからかな」
「えっ、もうすぐじゃん!」
慌てる私に、遅れるなら連絡すればいいだけだから、と優しくミク姉は言ってくれた。
だけど、こんな愚痴電話のせいでミク姉の大切な時間を無駄にすることはない。
「ごめん、こんな愚痴に付き合わせちゃって!ミクオ君とデート楽しんでね!」
早口でいっきに言うと、
「ありがとう、じゃあメリークリスマス!」
それとは対照的な、おっとりとした口調でミク姉は電話を終わらせた。

「メリークリスマス…」
ポツリと同じ言葉を呟く。静かな部屋にその言葉は虚しく響いた。
全然メリーなんかじゃない。
私はリビングにあるローテーブルにケータイを投げ出すと、ソファーにどっぷりともたれかかった。

今日、どうしよう。

今朝煮込んでいたシチューもそうだけど、前日に焼いて漬け込んでいるローストビーフとか、トマトと玉ねぎのマリネとか、
後は粉砂糖で雪を降らすだけの部ブッシュドノエルとか。
それから、メイコ姉に聞いてこの日のために買った、とっておきのシャンパンとか。
みんな冷蔵庫で出番を待ち構えている。
クリスマス特製だ。誕生日に持ち越すわけにはいかない。
いっそ、誰か招待してクリスマスパーティーでも開催しようかと思った。
だけど、その考えはすぐに頭打ちになった。

電話で話したとおり、ミク姉はミクオ君とデートだし。
カイト兄とメイコ姉もきっと2人でゆったりとしたクリスマスに違いない。
メイコ姉の酒盛りに付き合わされて、ゆったりではないかもしれないけど。
がっくん達のとこはどうだろう。あの家族はがっくんよりも、ルカ姉とぐみちゃんのが盛り上がっていそうだ。
結局思いつく人は全て、一緒に過ごす人が決まっていた。
私くらいなのだ。今夜ヒマなボーカロイドなんて。

朝、レンは謝ってくれたけど、今頃は何を考えているのだろうか。
レンにとってクリスマスなんて大したことないのかな。私だけが勝手に盛り上がっていただけで…。
そもそも、すぐ後ろに誕生日が控えているんだ。なおざりにしたい気持ちだって解らなくはない。
だけど、だけど、やっぱり誕生日とクリスマスは別であって…。
私は色んな記念日を2人で楽しんでいきたいのだ。

辛気臭い気持ちを打ち消すために、私は手を伸ばしてテレビのリモコンを取るとそのスイッチを入れた。
暗かった画面に夕方のニュースが映る。
ニュースキャスターが、どこか都内のイルミネーションを上空から映しながら、今夜から明日にかけての天気を話している。
今夜は晴れらしい。
ホワイトクリスマスを望んでいる人達には残念なんだろうか。
いっそ雨でも降ればいいのに、と可愛くないことを思った。
そんな自分に嫌気がさして、リモコンを駆使してチャンネルを回していく。
だけど、目につくものはCMまでクリスマス使用のものばかり。
結局1周して最初のニュースに戻ってきてしまった。

先ほどと違い、場所を地上に移したイルミネーション内で街中のカップルや家族にインタビューをしている。
内容は今夜どこ行くとかどう過ごすかとか。幸せそうな人々の顔が画面に広がる。

赤と緑と白。
華やかなイルミネーション。
幸福そうな顔、足取り、音。

一人でいるのがイヤなわけじゃない。
そんなのしょっちゅうあることだ。
なのに、クリスマスってだけで一人なのが寂しくなる。
こんな思いするくらいなら、クリスマスなんていらない………。




ハッ、と目が覚める。
テレビを点けっ放しで寝てしまったみたいだった。
だけど、テレビは消されていて、代わりに上半身から毛布が床に落ちた。
こんなことする人物は一人しかいない。
私は立ち上がると、そっとその人物がいるであろう場所、キッチンへ向かった。
案の定想定された人はそこにいて、私は見慣れた後姿に声を掛ける。

「おかえりなさい…」
「あ、起きた?」
振り向いたレンの先にはシチューのお鍋が火にかけられている。
ご飯は?と聞かれたのでまだと首を振って示した。
「いつ帰ってきたの?」
「ついさっき」
壁の時計はとうに日をまたいでいて、クリスマスを過去のことにしている。
「リン、ごめんね」
火を止めて、レンが近付く。
「ミク姉に叱られた。クリスマスは女の子にとって大切な日なんだから、って」
私は無言で首を振る。
言いたいことが色々あったはずなのに。レンの顔を見ただけで全て忘れてしまった。

近付いたレンの頬にそっと手を延ばす。
今は赤みは引いていたけど、しばらく痛かったに違いない。
延ばした手が掴まれて私の身体はレンの身体に包まれる。

「ほんとにごめん。代わりに、今日と明日は何があってもリンの傍にいる」
「し、ごとは…?」
不意に抱きしめられたから心臓がドキドキする。
レンの身体はまだ外の冷たい空気が残っていて、それが心地よい。
またそのせいで、自分の身体の熱が急上昇したのを意識させられた。
ほんの数時間前までレンがいないのが不満でしょうがなかったのに。
結局これだ。
私のバロメーターはレンに左右される。

「休みもらった」
「いいの…?ほんとうに私の傍にいてくれるの?」
顔を上げてレンを見上げる。
「必ず。今度は約束守るよ。」
普段より少し低いレンの声。
それから優しく頬にキスされた。
ズルイ。
こんなことされたら、私がどうなるかなんてレンは知ってるはずだ。

「今からでも、クリスマスの埋め合わせできる?」
少し不安そうにレンが尋ねる。
ここで私が断る理由なんてない。

「クリスマス後夜祭って感じ?」
「うん、それと誕生日の前夜祭」
「なにそれ!すんごく素敵…!」
レンの提案に私は感嘆の声を上げた。
クリスマスと誕生日に挟まれた、何でもない日が一気に輝きだす。
「それなら早く準備しなきゃ!」
レンから離れると私はキッチンの中に入る。
サラダを作って、冷蔵庫からローストビーフを取り出して、マリネを盛り付けて、シチューはレンに任せるとして…やることは結構ある。
もたもたしていたら本当に誕生日が来てしまう。

そのとき、ふと思いついて私はレンのほうに向き直る。
「レン、merry christmas to you!」

そう伝えると一瞬キョトンとしたレンだったけど、すぐに言外にしのばせた意味を汲み取ってくれたらしい。
柔らかく微笑むと同じ言葉を返してくれた。
merry christmasとhappy birthday to youを合わせた言葉。
今日という日と、私とレンだからこその言葉。
その言葉はすっと胸の奥に染みて、とても愛おしく響いたのだった。